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| 老化は何のため? ヒトが老化することに何か意味があるのかどうか考えてみましょう。老化は生殖期間を過ぎた個体に、不必要な資源を配分しないようにしている仕組みかもしれません。鮭が産卵するとそのまま死んでしまうように、ヒト以外の生物は生殖期間を過ぎると、まもなく死を迎えます。ですから、進化の自然選択は、生物としては子供が産めなくなったら、なるべく早く死んでしまう方を選んでいるはずです。ヒトは食物を取る量を減らすことで、長生きする弊害を和らげようとしています。ゆっくり生きることを選択したヒトの副作用、言い換えれば、払わなければならない代償です。 人間にとっては、老化は死の準備を促す役割を果たしています。もし、いつまでも若いときと同じょうな無理が利く身体だったら、迫ってくる死はいっそう大きな恐怖としてのしかかっていたでしょう。 それに、人間とか人生とかが、少しはわかるようになるのは、この身体の衰えを自覚する境からです。 老化を知らない人間は、人生の味わいを理解することはできません。 死と時間 分子も、動物も、ヒトも、私も、死んでしまう死は、人間にとってはすべての終わりであり、時間の終わりでもあります。しかし死は、生命の進化にとっては、時間の加速装置です。死に向かって生きている生物ほど、矛盾した時間を表す現象はありません。死も、生命が進化して獲得したものです。生命に、はじめは死などなかったのです。 細胞の自殺 細胞も死にます。細胞の死は、個体の死と必ずしも同じではありません。臓器移植では、脳死状態に陥った人から取り出した心臓が、別の人の中で何年も生き続けています。人のガンから研究用に取り出されて培養された細胞の一種類は、本人が死亡して五〇年後の今、なお研究室で生きています。個体は細胞からできていますが、個体の時間と細胞の時間は別のことです。 細胞は、栄養が不足したり、環境が不適切だったり、事故に遭ったり、損傷すると壊死しますが、それ以外に生命がもともと遺伝子に組み込んでいる機能として死んでゆくこともあります。それがアポトーシスです。細胞の外側から死の指令がくると、細胞は特別の遺伝子を発現させて、一連の細胞分解過程にスイッチを入れます。そうして、細胞内の多くの構造や酵素、染色体などを安全に始末して、周囲の細胞に迷惑をかけないように消えてゆきます。そのおかげで、オタマジャクシの尾がなくなり、人の手の指は間のつながりが消えて一本ずつ動かすことができます。アポトーシスは、脳が複雑な情報処理をできるように学習してゆく過程にも働いて、不用な神経細胞を削っていますし、身体が自分の作り出した免疫細胞に攻撃されないようにもしています。細胞は、個体のために死を厭わないとも言えましょう。 タンパク質の自殺、遺伝子の死 タンパク質も自殺します。アルツハイマー病のように、不要になった働かないタンパク質がたまると細胞には有害です。水に溶けないタンパク質は、正常であれば、分解されてしまいます。また、正常でも不必要になったタンパク質は、自ら端からいくつかのアミノ酸を外して、「自分を壊してくれ」という旗を揚げることが知られています。この自殺信号は、特定のアミノ酸の配列で決められています。そうすると、細胞内を巡回しているエビキチンという小さなタンパク質が取り付いて、廃棄工場行きの印を付けます。この印を持ったタンパク質は、タンパク分解装置に入れられて、アミノ酸にまでバラバラにされて、再利用へ回されます。こうして、無用になったタンパク質がたまらないようにしています。細胞に死があるのと同じょうに、遺伝子にも死があります。遺伝子は進化の過程で少しずつ変わってゆきますが、適合していた環境が変化するとか、他の遺伝子に機能を代替されるようなことが起こると捨てられます。星もブラックホールに落ち込んで死にますし、徳川幕府もローマ帝国も滅びるわけですから、遺伝、子のみが例外というわけにはゆかないのかもしれません。 死は甘美な性の代償 個体の死は、すべての生物の逃れられない運命かといえば、そうでもありません。死は、多細胞生物に進化してはじめて獲得された生物の特徴なので宅バクテリアには死はありません。バクテリアの細胞も、栄養がなくなったり、乾燥したりしてしまえば、壊れて死んでしまいますが、都合のよい環境にいる限り、いつまでも細胞分裂して生きていま宅分裂してしまうと、そこで若返ると言えるかもしれません。多細胞生物は、どんなに良い環境に置いておいたとしても、やがて死んでしまいます。次の世代に伝えられるのは、生殖細胞に託されたゲノム、ないしは遺伝子だけです。生殖細胞に遺伝子を託して、真核細胞からなる生物が死ぬことは、性と引き替えに死を受け入れたということができるかもしれません。性生殖とは、一倍体細胞の精子と卵子が融合して、遺伝子を二セットに戻す過程です。ですから、これを広く「性」とよべば、安定で修復可能なように二親の遺伝子を手に入れた代わりに、個体は「死」という代償を払うことを受け入れたのです。ゲノムが一セットの原核細胞は死なないことと考え合ゎせると、この死という性質は、ゲノムを二セット持っている細胞の特徴です。そうすると、精子や卵子は、ゲノムを一セットに減らすことで死を免れ、ヒトは、二セットのゲノムを持っている細胞からできているから死ななければならないと言えるかもしれません。安全を確実にしようとすることが、死というもつとも大きな危険を招じ入れたのですから、生命はここでも矛盾に満ちています。 進化の途中で獲得した死 死は、生命のはじめにはなかったのですが、おそらく進化の過程で獲得した性質です。死は、個体にとっては時間の終わりですが、進化において有利だったから選択されたのです。やはり、死と性は、遺伝子のことなどに煩わされずに、ただ、まっすぐに対処すべきものかもしれません。 心の時間と人間社会の時間 子供には、子供の時の喜びや不安があります。すなわち、それを時間だとすれば、時間の色合いは、人によって、人生のステージによって違うのです。それを知って、その時々でその時間を味わうような日々を過ごすことができたら、何ものにも代え難いすばらしいことです。 家族も進化する 小学校の入学式、結婚式、子どもの誕生、退職、葬式−−私たちの時間は、忘れがたい出来事が付着したパーソナルなものなのです。 パワーストーンワールド元気のでる館 |